- 2016.10.31 Monday
- カテゴリー:お出かけ
毒ガス島とうさぎ島
本で知った『毒ガス島』が長年ずっと気になっていて、
島への思いが『行きたい』から『行かなくちゃ』に変わり、
土日の福山でのイベントの前日に訪ねてみました。
島に強く惹かれた理由は自分でもよくわかりません。
理由もなく強く惹かれる場所ってありませんか?
大久野島は過去には毒ガス島と呼ばれていました。
地図から大久野島を消し、
最高軍事機密として慎重に秘匿され、
第一次世界大戦で使用禁止となった毒ガスを
昭和4年〜20年まで製造していました。
再び地図に載ったのは毒ガス処理を終えた昭和22年です。
専用船で通った従業員の中には
忠海中学生の16歳〜19歳の少年たちもいます。
作業中に無防備のまま粉塵を吸って多くが被爆。
女子の学徒動員は風船爆弾の製造作業。
工場は昼夜二交代制で13時間労働の過酷なもの。
日本が毒ガスを使用したということは
1984年まで殆ど知られていませんでした。
教科書に書かれなかった忌まわしい歴史です。
現在の大久野島は
島の小学校が放ったウサギが大繁殖し、
『うさぎ島』として海外でも有名になり、
うさぎの楽園になっています。
電車と船の乗り継ぎ、
それから日の入りの時間の都合で、
島での滞在時間は2時間弱でした。
島全体を周ることはできなかたので、
行かなくちゃと、また心がざわつき始めたら
ふたたび訪ねたいと思います。
忠海港の売店でうさぎの餌を買って、船に乗ります。
島に上陸するとうさぎが走り寄ってきた〜
ベンチに座ると餌が欲しくて膝に乗ってきますよ。
警戒心があまりないですね。
落ち葉も食べるよ。
700羽もいるんですって。
木の根っこに穴を掘って住んでいます。
赤ちゃんうさぎもいました
夕方には島の係員さんが餌を蒔きに来ます。
みんなでっぷりと毛並みがいいです。
毒ガスを製造する際、電力を供給していた発電場の跡。
幹部用の防空壕。
資料館のお客さんは私だけでした。
館内は撮影禁止です。
防毒マスクや給料袋、食堂で使っていた食器などが展示されています。
ゴム製の防護服は真夏でも着用で、汗だくになりながらの作業。
隙間からガスが浸透し、皮膚や目、喉や肺が侵されていきました。
このイラストが私はとても怖いです。
詰襟の学生服に防毒マスク。
こんな恐ろしい光景ありえない…
中学生が毒ガスを製造していたという事実に胸が痛みます。
毒ガス島からうさぎ島へ生まれ変わった大久野島。
もう二度と悲劇が繰り返されませんように
JUGEMテーマ:島旅
福山での手仕事市に行きました。
今回は額入りの絵を購入しました。
母も気に行った様子でもうひとつ買えばよかったかな。。。っと
また福山に来てくださるとの事だったので
来年に期待しておきます。
宜しくお願いします。